昭和44年12月18日 月例祭



 信心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えよという御教えがございます。信心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えよと。信心を頂いて、そしてだんだん信心が有り難いものとして頂けてくるようになって、いわば、信心なしには生きられないというほどしの有り難いものに信心が、進んでまいりますと、その信心をどうでも子供にも孫にも、子々孫々これを伝えておきたいなとみんなが願うのでございます。
 また願わなければ嘘だし、また、それが切に願われるほどしの有り難いものに信心がなっておらなければ、またなおさらダメだと思うのです。どうでしょうか皆さん、自分が楽になるために、子供に信心をさせたい。家の嫁御も信心の有り難いお話を聞かせたら、ちったあ嫁御が良うなるだろう。そのために、信心を子供にやら嫁御にも、周り周囲の者にもさせたいというような、私は願いからの信心ではダメだと。
 自分自身が頂いておる、この様に有り難いこの様な場合でもこの様に有り難くしておれれるという事。今朝の御理解を頂きますと、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃと。まあ初めの間はえらいとも思い、しるしいとも思うけれど、そこを行じていく所から、きついとかしるしいとかと思うだんじゃあない。是は身に徳を受ける修行だと思わんでも、雨の中を例えばおかし風の中はおかしてお参りをしておる自分がしみじみと有り難うなってくる。
 それが信心なんだと。だからそこん所を行じてみらなければ分からんのである。だからそれほどしの所からですそれほどしの信心がです、まずできなければならん。是は雨風にだけの事ではない。人生の上に起きてくる雨でも風でも、はぁしるしい事だともう吹き折れるごたると思うような、例えば情勢下になりましても、そこに難儀も難儀とは感じずに、それを合掌して受けて抜いておる元気な心が出る事が有り難い。
 日頃頂いておる信心というものが、この様な時に初めて現されるという事は何と有り難い事であろうかと分からせて頂ける所までの信心。今日は朝から先生是を見て下さい、是を読んで下さいと言う様なのがあった。高山さんがたまたま古い週刊誌を見せて頂いておったら、大変こう有益な記事が載っておったから読まして頂きおったら、たまたまこの方が金光様の御信者であった、という事が記事に書いてある。
 先生本当に世の中には奇特な人があるもんです。私はこの記事を読ませて頂きながら、本当にそれこそ自分がもう、こうはっとするほどに教えられるものがございましたと。先生これを読んで下さい言うて持ってみえた。それにはね、子供が交通事故に遭って即死された。自分の仕事しておるところに近所の方がそれを通知にみえた時にですね、一番初めに頭にひらめいた物直感した物それはね。
 その事故をその自分ところの息子をひき殺したその運転手さんに対して、相すみませんという事が実感だったっち言う。自分方の息子がひょろひょろ出てどん出らんでおれば、あなたもこういう難儀なことにはならんですんだろうのにという実感、一番初めに頭にひらめいたものであったっちいう。普通で言うならば俺の息子をひき殺した本当に叩いても、くらしてもたる奴じゃないと思うような、その人をですその人が拘留されておるのをわざわざもらい下げに行かれてそれを、自分ところの養子にされたちいう。
 そして例えば是は因縁話めきますけれども、是はもうお道のそれで言うと、本当に何かがあるという事なんですが、その息子さんの誕生日にその養子に迎えられたところに生まれた、その、子供さんが、同月、同月に誕生したっちいう。はぁ是も本当に死んだ息子一人息子じゃったそうですが、一人その息子の生まれ変わりと言うて喜んでおると言う様な記事が書いてあります。
 信心させて頂いておるのは、有り難さっていうのはそこなんですよ。どういう例えば難儀な事に、それこそ目の前が真っ暗なり、くらくらするような事に直面してもです、信心がその時にこう現されておる。すいませんと思うたのは相手に対してじゃった。というのであります。そういう信心をです、私共が頂きたいと思います。たとえば今の時代はです、例えばどう言う様に事故に遭うた者が、例えば悪かっても。
 例えば事故をいわばひき殺したなら、事故をさせたらさせた方が悪い事になっておるから、それを楯にそれこそ無理難題因縁を言うてです、そして俺を一生みてくれの、ああしてくれのと言うて強請るようにして、その金を取り上げるだけ、取れたら取り上げようというのが現在の、世相の中にある、交通事故に対するそれではなかろうかと、私は思うです。取らん分が損という事。信心は本当有り難い。
 私は今日皆さんに聞いていただきたい。信心の道を迷わず失わず末の末までも教え伝えたい。子供に教えときゃあ、親御、信心しおりゃあ必ず親孝行するじゃろう。親を大事にしてくれるじゃろう。家の嫁御が信心してくれると嫁がちったあ姑親を大事にするじゃろう。だから嫁御ば参らせるそういう、そういうけちな考えではね、私はおかげにならんと思う。自分自身がおかげを頂いておる。
 どのような雨であろうが風に遭うても、それを元気な心で受けていけれる。それが有り難くならせ、受けられるほどしのものを頂くから、こういう信心を子供も頂いてくれたら孫も頂いてくれたら、どのようにか幸せになる事であろう、という思いがです、迷わず失わず、そういう道を子供に孫に伝えていく精進をさせて頂くのでございます。子供の幸せを願うから、嫁御の本当の幸せを願うから、あんたもいっちょお参りしてみなさい、あんたも信心しなさいという事になる。
 最近はこの信心の継承ということ、信心の受け渡しという事が教団でももう必ず取り上げられる。教師会の時に一番初めに出るのが信心の跡継ぎ、後継者がないという事、どこでも。第一教会にすらが跡を継ぐものがいないという事。教会が沢山あるという事。親たちが信心しおるとがもうアホらしかというぐらいに、子供たちが親の信心を軽視しておるという事。次に問題になるのがです青少年育成であります。どこの教会にでもお爺さんお婆さんばぁっかりじゃん。というのが普通なんです。
 どうしていわば子供たちの信心が育たんのか、青年の信心が育たんのかとそれをもう会合のあるたんびんに、いやそれがもう会合の目的であるようにです、教師会などではいつもその事が取り上げられて、どうして若い者がついてこないかという事をさかんに言われております。合楽にみえて子供さん、あの子供が多い。青年若い人が多い男が多い。普通はもう女の方がほとんどですよね。
 金光様の御信心どこ行ってもところが、例えば御本部参拝などを致しましても、まあ男が十五人なら女子も十五人というぐらいにその、まぁおかげを頂いておりますよね、合楽の場合。今度私共が御本部参拝させて頂きましたが、今度は青年が合楽は見えんですねっち。はぁ今度青年は、また団体参拝を青年だけで改めて、元旦参拝、元旦に参拝するようになっとりますからっち言って、聞かれてから、青年が団体で参拝するなんてもうびっくりされます。というほどしにです。
 まぁおかげで合楽では、まぁ段々育てさせて頂いておるわけなんです。だから皆さんもです、矢張り思われるだろうと、この信心を子に孫にまたは家族中の者に、または自分の知り合いの人達にでも、こういう信心を頂かせたらこの人も楽になられるだろう、有り難いだろう物の見方考え方が変わられたら、そういう問題は解決するのにと思われるだろう。為には自分自身がそこんところのおかげを受けとかなければダメ。
 あの人が信心させたならば、自分が楽になるからあの人を導こうなんて言う様なけちな考えじゃいかんとです。もう家の嫁御が信心してくれると良いですばってんが。そげなこつ言いおるばばさんがしっかり頂かにゃ、ばばさん自身が頂かずして嫁御がついてくるもんか。それから嫁御さん達を二人連れお参りさせて来る様になった。またお婆さんの言う事言う事を聞くようになった。そこにばばさんが変わりなさった。
 もう来るたんびんにどっちん嫁御か悪口、悪口がまあお願いですたい。そのお願いが悪口を言わなければお願いが出来ない様に、嫁御があぁですこうですとこういう様な事である。それがばばさんが少しばっかり改まっておかげ頂かせて頂いたら、嫁御がばばさんの言う事を聞く様になって、竹葉会に兄弟二人連れで出て来る様になった。4、5日前にばばさんが出てきてからもう先生、二回でしょうか三回でしょうか。
 今度ん(たびに?)あなたもう、子供が幼稚園に行くっち言うけん、普通ならあれが勤めちから行きよるならですね、今日はばばしゃま私は幼稚園の方に行かやんけんで、あっちん方には御無礼するっち言うじゃろうかと思いおった所が、もう朝ん内にバタバターっとあのしてきますけん、ばば様お願いします。昼から合楽に行かなならんけんと言うてその、弟嫁御を誘うてからこちらへ来ましたち言う。
 もう先生こちらでお話を聞くごんなったら、手のひら変わるごと嫁御達が変わっておかげ頂いてますち言う。ばばさんとにかくその嫁御が参って一遍話を聞かんの聞かんのと言う間は参らなかったけれども、ばばさん自身が信心させて貰い、ばばさん自身が変わらせて頂くおかげを頂かせてもろうたら、ばばさんの言う事を嫁御が聞くようになったと。もう私は先生こん若か嫁さんがおんなさっとこにはね、皆んな私は今度一遍お話させて頂こうっち思いますっちってこの頃言う。
 嫁御が変わってきた。そういうね、例えば自分自身が真実助かっておるから、こういう助かり方をこの人もしたならば幸せであろうと思うから、それを子に孫に伝えるという事でなからなければならん。今日もう一つ先生これを持って来て、見て下さいっち言ってから雑記帳持ってきなさった方がある。椛目の中島さん。先生、これがうちの力が書きましたこの小学校に行く。
 もうとにかくちょっと見てみたら、もう学校のその先生がです、もう是より以上丸やらつけられんごと丸をだぁっとして丸ばつけちゃる。至る所に丸々つけちゃる。最後にゃかわいいかわいい、そのまあ傑作だという事も書いちゃる。先生これをこれが今度あん、子供が書いたつが新聞に載るそうでございます。先生見て下さいって言うて持ってきなさった。ほう中々しっかりした字で書いてあります字でも何でも。
 こりゃ皆さんもご承知、ご承知でしょうが悪いこつ悪いこつ、そうにゃ悪いですけれども、やっぱり段々おかげを頂いている信心のおかげで。二人の子供がおかげを受けとる。いわゆる子供もようできます。今度一年生のつもそうです。それがねこう言う様な、詩を詩か作文でしょう。ちょっとこれ平仮名ばっかりで書いとるから、私は自分でそれを書き写させて頂いたそのまま全文のまま。ちょっと読ませてもらいます。
 私は本当にこりゃ神乍らと思いますね。題がね大亀様っち書いちゃる。どうしてこういう題を作ったじゃろうかと私は不思議でたまらんです。ね、題っちゃあ大亀様っちいうことは、神、神、神様を亀様っち言いおるわけですね。だからお母さんがこりゃあんた神じゃろうもんっち言うたら、僕は亀様っち言いおるけんっち言うちから亀様書いとる。その題が大亀様っち書いとる。ね、
 それがねこういう風に作っとるんですよ。「本当に亀様はいるのかな。いるなら顔を出すはずだ」とこう言う。「本当に亀様はいるのかな。いるなら顔を出すはずだ。すると僕達には見えないのかな。親先生しか見えないのかな。それから偉い人にしか見えないのかな。何故だろうか亀様は何を食べているのだろう」とこう言う。神様神様ってみんな言うが自分も御参りするが、神様っち大体おるのだろうか。
 おんなら顔を出すはずだっち書いとる。けれどもねただしやっぱり親先生にしか見えないのかなとこう考えてるんですね。特別に偉い人だけしか特別に御徳を受けた人だけしか見えないのかなとまたここで考えてみてるんです。そしてその神様はいったい何を食べているのだろうと。「僕達の目では見えないのかな。僕も神様になりたいな。だけどもどうやって生まれたの。それが僕は知りたいな。」と締めくくってある。ね、
 それが僕は知りたいっち言う。神様はいつどこで生まれたのだろう。その神様は何を食べておるのだろう。その神様がおるならば、顔を見せてくれても良かりそうなもんだけれど、これは親先生にだけしか見えないのかなという言うておる。そのようにしてです小さい心の者がです、神様を神様をと神様、皆で申しますから、その神様をやはり求めておるわけです。神の実態を知りたい。
 そこでです母親たる者、親たる者周囲の者がですこれが神様だというものを生活の上に現していかなければ、見せていかなければこの子供がどういう事になっていくやらわからんです。そのように私は子供に信心の継承というものはです、子供たちは求めておるのだ。子供が信心、神様を軽視するという事は、親が軽視しておるから子供にその通りにしか映らんのだと、私はそう思うです。
 信じとるように言うても神様を信じないから子供が信じないのだと。先ほど菊栄会の、今日は古賀さんが、前講を務めるはずだったらしいですけれども、今日はあいにくお参りして来とりません。誰も話をする者がありませんから、もうもう自分がしますとあともう十分になる。けれどもやはり、お月次祭を前に誰かやはり一口でも前講させてもろうて、しかもその前講がいつも次のお説教の、まあ頂きどころになっておるように思いますから、一口なりとも私も聞きたいと思うてそれであの、光昭に申しました。
 光昭がここで十分あまりでありますけれども、有り難いなあと私は思わせて頂いた。私は皆様も御承知のように、子供達にこうせねばならん、ああせねばならんという事を言わんのが私の流儀なんです。目にあまるような事もありますけれども、それは親のいわば、お詫びさせてならん所として、お詫びをさせて頂いてただ願うだけでございます。こうしちゃいかんぞ、あぁせないかんぞと。
 けれどもまぁあのようにして段々お育てを頂いております。まだ今年成人式を、来年ですか来年迎えるわけでございます。それが誰も申しませんのに一生懸命教会修行させて頂いてくれますし、自分から好んであの真っ黒い黒衣を着て、朝から御用させてもらっとります。それはまぁたどたどしいもんではございますけれども、最近では親教会に日参をするということを修行にしておるようでございます。有難いなあと。私は毎日あの人の御初穂をつくってやるのを、まあ有り難い楽しみにしております。
 それにしても第一毎朝、また朝参られん時には昼からでもお参りさせて頂いとるようでございますが、この頃から風邪を引いて、おりましてねどうもきつい。けれどもお参りせにゃならんというのを、ちょうど久富勇さんが参り合わせておられてから、きつそうにしてなさるから私が送ってあげましょうと言うて、行き戻り送って頂いた。もう明くる日は愈々、頭が上がらんごたる風じゃった。
 夕方私お食事させて頂こうと思うて、食堂に出て参りましたら、たんぜんのままやって参りましたもん。あらあんた今日は御飯食べに、したらはいっち言ってから下に座ったままたんぜん着てひざまずいたまま泣き出しました。親先生おかげで本当な事を少し分からせて頂きましたっち言って泣きおったです。どげなおかげ頂いたのっち私。僕は今日休ませていただいていろいろ考えよりましたっち。
 今日はとうとう御広前の御用もできだったし、親教会に参拝もできんが、と思いおったらしきりにその、兄さんがいわゆるここの若先生が、あの足があんなに悪い時に、ごそごそ這いながら毎朝の御祈念を怠らなかった。あん時の事がしきりに思われてならなかったら、その自分の心の中に神様がね、這うてでん参れっち言いなさったような気がするって言うて泣きおるとです。
 僕は今から、お参りさせて頂きますからと言うてですね、あのお参りさせて頂いて私は有り難い、お父さんの信心はそこじゃもんね。うんいつもかつもがね、そんなに厳しい事ばかりないけど是と決めたなら、こうと決めたならそれこそ誰が何と言うても、どの様な例えば障害があっても、それこそ頭から火が出る様な、熱を出しておっても這うてでも私はお参りをさせて貰うと決めたら、決めさせて頂くのが私の信心じゃんね。
 だから信心とはそれを段々段々もっと素晴らしい事がです、日々その様にして出来る様なおかげを頂く事だと言うて。励まさせて頂いた様な訳でございます。信心の節度とこう、申します。きちっとしたおかげを頂きたいなら、矢張りその様な所にきちっとした信心が、私は出されていかなければいけない。私はあの信心を進めていくコツあいと思います。どんなに良い信心ができましても、そこんところをね。
 しだごだにすると、やはりおかげが何とはなしに頂いとるばってんおかげがしだごだなおかげでですね、本当におかげだなあと実感できるようなおかげになってこないです。そこんところをですね、皆さん本当に頂いて欲しい。だからこれは、その人のどんなに信心が幼稚であっても、程度が低かってもいい、できるわけでしょうが。その人なりに節度を持てというのですから。
 誰が真似ばせんならんっちいう事、その人なりのものなのですから。けれどもそれだけは一つ貫かせて頂けこう言うわけです。この丁度一月前にこの御月次祭の時に皆さんに聞いて貰いました私は生まれてはじ生まれてじゃない、こうして御取次させて頂くようになって初めて父親からお金を借りた。ありゃちょうど一月前でした。丁度こちらに6万円か、5万円か足りなかったそれだけお爺ちゃんが持っておった。
 それを借らして頂いて、今日がここの支払日になる、銀行への支払日になっておる。今月も段々おかげを頂きまして、十日にここは全部支払いがあります。ところがこのこの十日の支払いがですねちょっと間違うとる。4万円ばっかり足らん支払う40万円近く払いましたでしょうか。所が4、5万足らん経理の茂さんがずうっともう十日には、もうもう袋に入れてからどこどこにもいつでも支払いが出来る様にしてしまいます。
 それで茂さんが言われるのが、十日は親先生が、先生がちょうどお留守でもありますし、御本部参拝されるわけですから、もう十日の日は親先生がおられんからと言うて、11日に帰られてからお払いしましょうかね。そんならもう十日の御月次祭には、もう5万も6万もできるだろうから。ならそうして下さいと言うて、今年は十日の支払いが11日に延びたとこう言う。
 また少しばかりやっぱし5、6万円がた違うとるなあと自分で思う。違うとるなあというよりもね、先月も申しましたように、今度はもう非常に心が窮屈な一月前にも申しましたようにです、鯛の寿と信者がおかげを頂くという事になって、こちらではあんまりおかげを頂きすぎとる。だからそれこそ仁徳天皇じゃないけれども、もう何ヶ月間何年間というて税金を、お取りにならなかったとと言う様な(?)の御理解でしたね。
 一月前の今日でした。だから本当にですね、あの今月はそういう意味で非常に窮屈でした。けれども払われなかったとか食べられなかったという事はない、そういう事はないけれども、何とはなしに窮屈な思いの一月間でございました。そしてそりゃあんた茂さんどうすんの、そりゃあんた11日にすれば今度は、あぁそん払うてしまわんなら今度は18日にはあんたもう、54、5万払わんならんこりゃもう絶対払わんならん。
 それがあるがまあ良かたい、とにかく払ってしもうときなさい。後は神様にお願いさせて頂こう。けれども今度はやっぱりこりゃあもう本当に相すまん事だなあという気が致しておりましたがね、昨日までにそれこそ一生懸命稼ぎましてからね、丁度30万今朝までに出来とった。それでもやっぱりほら、20何万足りません。で今朝の御祈念の時に私神様にその事をお願いさせて頂いとったら。
 私は昨日親教会に出らせて頂いてから、皆さんがお掃除をし終わっておられる庭をもう久しぶりで、何ヶ月ぶりかに庭を一辺通りに回りました。そしたらもうそれこそ隅から隅まで見事に手入れの行き届いたお庭に、もうやはり二、三年になりますから庭にも一つの風格がだんだんそこに出来て来た。根を張るものは根を張る。茂るものは茂って所謂その庭の佇まいというものがです。
 はぁ段々素晴らしゅうなってきなたあと私は思うた。そうしてもうほう立派になったなあと思うてから、こう行ってあの内玄関の手前の所に小さい潜戸がある。なあとこう思うてこう行って行きおった。ほしたらもうほんな潜戸の所で頭をいやという程打ったんです。それがあそこに皆さんも御承知の様に桜の花がこうやって、あのこう横に出て来とりましょうが。それがそのこうしていかんと、くぐ打つ様な所に出てるんです。
 それで頭打った。今朝から私その事をお願いさせて貰いよりましたらね、その桜の枝で頭を打った時の情景を御心眼に頂くですもん。はか成程なあと子供の結婚の事の、それにかまけてしまってそれこそまあこちらの信心もできん、力もないのにそれこそあの様な素晴らしい、百万ですませる筈が三百万になり、三百万で済ませるはずが五百万になり、五百五十万になりましたとうとう。
 今月支払いが(残っとったまあた?)。だからね、昨日でしたか一昨日でしたか、中村さんの所のお礼からなんからしますとちょうど三百五十万かかりました。丁度五百五十万。とてもとても私共の信心の力で出来る事ではない事をです、いや神様に御無理をいうならば派手すぎた。桜の花で頭打ったんだと私は思うた。はあこりゃこの事のお詫びだと私は思うたんです。桜の花のようなぱぁっとした私の性格がです、結局ああいう事になってしまって、それをむき出しにしてしもうた事は、例えば神様は厳しい。
 お詫びする所はお詫びさせなければ許しなさらん。同時に神様の(てんざかり?)、信者の方におかげを下さる所の働きが始まるから、こちらの方では少し窮屈になるぞと一月前に頂いておった通りに矢張り窮屈であった。今日も段々銀行が取りに来る時間に、丁度茂さんがひげを剃りに来て下さったから私は、ひげを剃らしてもろうた。そしてもうそのまま眠ってしもうて、今日は二時ごろまで寝てしもうた。
 ぐっすり覚えなかった。そしたらある兄弟の方達が私の部屋にやって参りまして、初めて目が覚めて起きた。兄弟でやってきてある。それからすぐ奉仕着を着けさせて頂いてからです、しおりましたら、その弟の方が私の後ろに下がっとる軸を見てから、先生あの軸は前から下がっとるとでしょうかと言う。あれは前から下がっとるとよ。もうあなた三橋先生が修行中の時分からあれは、三橋先生のいろんな因縁があってから、あの軸がここへきとるとじゃから。
 俵牛というて牛が三俵の俵を積んで、いわゆるあの民芸調の感じでね、描いてある牛と俵を描いてある牛俵という軸がかかっております。そう私の部屋にやってきてから言う事がです、先生私は今朝からお夢を頂いたのにです、あの牛と同じ牛をお夢の中に頂きましたと言うんですよ。しかもその牛が3俵の俵を乗せております。もう先生あそこに下げてあるあの通りでしたとこう言う。
 はあおかげ頂いたねと私は申しました。そしたら兄弟で私がここにつかせて頂いてここに出てまいりましてから私は申しました。夕べ弟と2人で話しました。本当に色々と広大なおかげを頂いて、教会に何かという時にはお役に立たんならん、お役に立たんならんと思いおるけどなかなかできんが、今度こそお役に立つときじゃなかじゃろうかと言うて弟と2人で話して、もう兄弟二人もう協議が一致しまして、お金を二十万円お供えをさせて頂こうという事になった。
 ここで足らなかったのが丁度二十万じゃった。それで私は申しました。有り難いねえもう本当にそんならあんた方が今現在おかげ頂いておるわけではない。どちらかというならもう毎日、それこそ手形に手形に追われたり、いわばいうなら借金にも、まあ追われたりしておるような状態なんだけれども、まず氏子がままになる前に、神様がままになられる事に精進さして頂けるという事が有り難いじゃないか。
 あんたが夕べ頂いておるその、俵に牛というのがです、そうじゃったばい、私があの軸のお供えを頂いた、その御大祭からお米が三俵大祭にお供えがあったのがうちのお米のお供えの始まりじゃった。牛といえば皆さんもご承知のように家のめぐりと言われておる。家のめぐりの為に難儀をする。家のめぐりの為に修行をするけれども、その大きなめぐりがあったおかげで難儀もしました修行も致しましたが。
 その巡りのおかげで、その牛のおかげでその牛が俵を運んでくれる様なおかげになりましたという事なんです。あんたの場合はそれが、神様がままになられる為に今日はここにこうして運んできた様なものだと。合楽教会の顔も潰れんで済んだ。私はねこの事の限ってはそればってん、もうこりゃあ絶対払わにゃいけん、あのどうにもできないもんで払わにゃいけんと言われとるけれども、いっちょん気に障らんとです。
 それがね日頃が神様にそのいろんなお知らせ頂いてお詫びする所を、お詫びさせてもろうて、御霊様の前に出らせてもろうてから、もう御霊様に総動員させました。ここでおかげを頂いておる御霊さん達は。それから今合楽は今こげな凡な状態じゃけん、あんた達が今度あ、少しは働きなさらにゃでけんばいっち言う様な感じで御祈念させて頂いたんです。もう日頃御霊様に頼んどらんですけん、頼み良かとがばさらかです。
 そげなこってすかっち言ってから御霊さんが立ち上がって下さった様な気がしてですね、実に楽な気持ちでした。それでも矢張り明日の支払いの事があるけん少しは心がね、心がこうまあ動揺じゃないばってん、もう不安にやっぱ不安といえば不安でしょうけれどもね。だってところが夕べの晩の御祈念に、ある方がそこにまあ若先生が敷いております大きな紫の座布団を持って来た。
 そしてもうしゃっちそれには白のカバーを掛けずに、そのままそれに座って下さいっち言って持って来たもんですから、もうそのまま私は座らせて頂いてからお届けさせて頂きよったらその事を頂きました。紫と言やあ安心と仰る。だから夕べの御理解でその事を申しました。私の心の中にちょっと不安な事があったんだけども、この座布団を敷いたとたんに、私の心の中に安心のおかげを頂いておると言うてお話をした。
 なら今朝になってからでもやっぱり二十五万からのお金が足りんのだけれども、段々おかげを頂かせて頂いてです、その兄弟達の言うような話し合いが、二十万ここで二十五万、この頃から皆さんに立て替えとった、お金が返って来たから丁度それだけの、お金がきっちり払わせて頂ける事が出来た。ほんと神様っちゃあ間違いがない。皆さん本当にね、巡り難儀という事をです、もっともっと大事にしなければいけません。
 その難儀が愈々本当な意味合いにおいての、今日私が申します信心ちゃあなんと有り難い事じゃろうか、この有り難い物を子にも孫にも伝えておかなければ相済まんぞできんぞと言う様なです、私はおかげになってくるんだとこう思います。私達がおかげを受けたのはこの巡りのおかげであったと子供達にも話してやれて、この神様の御恩でも忘れおったら家は立ち行かんぞという事を、子供達にも本当に納得させなければだめ。
 納得させきらんごたる信心じゃだめです。もっともっと自分が本当の信心を頂かなければ、そして初めてです、信心の継承をね、形式的にです、こげん言うたならこげんしたならというような事できるはずじゃなか。中心そのものがね、信心を頂かせて頂かなければ信心の継承はおぼつかない。今晩の御霊様への御挨拶の時に、もう明日が前夜祭、明後日が報徳祭。いわゆる四神様の御大祭と申し上げておったが。
 四神様の御大祭といやあ、九州の者の大恩人と桂先生が言われたように、大変にそのお祭りを大事に春秋の大祭、いわば以上に大事にされました。それが段々九州の道の上にもおろそかになってきた。同時に今度只今はですたい三代金光様、三代金光様の御大祭、これはいわば合楽にとりましても私にとりましても大恩人。金光様の一言が私の教師としての、決定的なものを与えて下さったので御座います。
 そのいわば大恩人であるところの四神金光大神様、三代生神金光大神様の、御報徳のお祭りを愈々明日、明後日はその御祭りを奉仕しなければなりません。今度は丁度教師会が一緒の同日にありまして、ここの大祭が終わったらほとんどの先生が、その本部の方へおいでにならなければならない事になりました。ですからもう時間よりも少し先生方が揃われたら、もうすぐからでも、御祭りを仕えるけんのっちゅって。
 親先生から昨日言われております。そんな訳ですから、どうぞお祭りは早うから出ておいでられますように。徳に玉串を上げられる方は、一時間早う出てこなければなりません。十時のお祭りですから、九時には出てこにゃならん。けれどもそんなわけですから、時間よりも早くなるかもしれませんからその積りで出て来なければならない。というて出てきただけでじゃいけません。
 今日私がその事をお願いさせて頂いておりましたら、十二月十八日夜頂くとここにちょっとひかえております。大祭には信心の見せ場、力の現し場と頂きました。信心大祭はね、現在私共が信心の稽古をさせて頂いておるその信心の見せ場なのだ。同時にどのくらい力を頂いたかの力の現し場なのだ。どのぐらい現したか。自問自答してみなければいけません。そしてそれが(?)に現したい、いかに見せ場だからと言うてです、こちらは空のものをこうやって見せたところでしかたが無いでしょう。
 自分自身が本当におかげを受けておると思うなら、そのおかげを受けておるというそれを出さなければならんのです。おかげを受けておるというその思いを現さなければいけんのです。それであって初めて御大祭が御大祭になるのでございます。明日は前夜祭でございますから、前夜祭にもどうぞおかげを頂かれますように、同時に二十日の御大祭には、みんなもそのような、お互いの信心のです。
 自分がどのくらい本当に力を頂いておる、有り難いと思いおるがどれだけ有り難いと思うておるかというものをです、私はお祭りに現してそれを真として神様に受けとって頂かなければならんという風に思わせていただくのでございます。どうぞ報徳祭はいやがうえにも、九州のお祭りと言われた御大祭がです、もうせめて合楽だけでもです、春秋の春秋の大祭をしのぐほどしの御大祭にあられなければならん。
 とりわけて、いわば三代金光様の御大祭でもあるのでございますから、これは私でも皆さんの場合からいうても同じ事。いわば合楽の大恩人のである三代生神金光大神様の、おー御礼の御大祭、を本当に御礼の御大祭らしい、二代金光様、三代金光様に本当に喜んでいただける信心、それにはこれだけ力が出来ました、これだけおかげが頂けれるようになりましたという空な物ではない、ただ見せ場だからというて見せびらかしたもんではない。真をそこに現しての御大祭でありたいと願うとるのでございます。
   どうぞ。